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35件の議事録が該当しました。

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2014-02-26 第186回国会 参議院 国民生活のためのデフレ脱却及び財政再建に関する調査会 第2号

この一点だけ見据えた上で、経済的効率性も無視してはいけないわけでありますけれども、経済的効率性歴史伝統文化、例えばそこにはやおよろずの神がどれだけおられたとか、それから新古今和歌集時代からどうだとか、そんな話も全部加味した上でどういう国土、あるいは国防なんということもあるかもしれません、そういうことも全部加味した上で国土の利用ということを議論していただきたいなと思います。

藤井聡

2011-05-16 第177回国会 参議院 決算委員会 第5号

この「いま幾日」というのは、これは古今和歌集らしいんですが、これが法務省のサンプル問題として公開されてしまったら、受験生としては、じゃ万葉集も新古今和歌集も勉強しなきゃあかんね、傾向と対策的にはそうなります。  あるいは、時間がないので櫻井副大臣に当てずに申し訳ないんですが、メタンを八グラム燃やしたら何リットルの二酸化炭素が発生しますか。これを法曹としての一般教養として必要なのか。

前川清成

2008-11-19 第170回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号

この君が代国歌と言われておりますが、そもそも最初古今和歌集巻七、賀歌の部分に「我が君は千代八千代に」云々、こう出てまいりまして、その後に、和漢朗詠集の中で「君が代千代八千代さざれ石の巌となりて苔のむすまで」。  ここで言う「君」は何ぞやということになりまして、そもそも古典文法で言う格助詞の「が」と「の」の使い分けは当時されていたということをまずお伝えしたいと思います。

馳浩

2003-07-17 第156回国会 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 第10号

古今和歌集仮名序で、紀貫之が在原業平の和歌歌風を評した一文でありまして、思いがあふれているんだけれども、それを的確に表現できないということを表現した評文であります。  大臣にはそういった観点をしっかりと踏まえて、今回、長崎の十二歳の少年の事件に関しましては、まだ事件の概要が、全貌、明らかになっておりません。

馳浩

2002-11-12 第155回国会 衆議院 法務委員会 第6号

でも、私は、古今和歌集の勉強をずっとやってきて、それで卒論を書いた人が、たまさか法科大学院に行きたいというようなことというのは余りないだろうとは思いますけれども、どうもそれは非常に定式化されたお話だと思うんです。  いずれにしても、私が申し上げたいのは、法科大学院教育内容が要するにすべてを規定づけちゃうということなんでしょう。もちろん予備試験中身を規定するのは当たり前ですよ。

植田至紀

1999-08-09 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会公聴会 第1号

君が代につきましても、その発生は古今和歌集あるいは和漢朗詠集と言われておりまして、一千年の昔から歌い継がれている歌であるということ、そしてまた日の丸につきましては、江戸時代島津公が船に掲げたのが最初と、いろいろいわれがあるようでございますけれども、言われている。  

松あきら

1999-08-09 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第8号

そして、国歌君が代と称しているものが昔は古今和歌集云々と言うけれども、そんなことを明治時代や私たち時代に、君が代は実はあれは恋の歌だよなんて言ったら刑務所入りですよ、とんでもない話で。今の答弁、議論をしたことでみんな不敬罪刑務所に入らにゃいかぬ、君が代のことについては。いろいろあるんですよ。しかし、そういう歴史をきちんと教えなければいけない、本来は。

山本正和

1999-08-06 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第7号

江田五月君 君が代古今和歌集あるいは和漢朗詠集時代からあった、そして長く続いてきたから国歌としてふさわしいという、そういうお話ですが、古今和歌集和漢朗詠集時代からずっと続いてきている歌はほかにもいっぱいあるので、それらが全部国歌にふさわしいなどということはないと思います。

江田五月

1999-08-05 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第6号

私は、日の丸君が代がすぐに軍国主義と結びつく考え方ではなしに、日出る国の象徴としての千年以上の歴史を持った日の丸、それから庶民の歌として古今和歌集に出てくる詠み人知らず、まさに庶民が歌った歌です。それが祝い事として続いてきたこの君が代。私はその五十年の歴史戦争歴史は必ず総括しなきゃならないと思っています。  

森本晃司

1999-08-05 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第6号

これは古今和歌集などの注釈書を見ましてもいろいろな伝説に基づくものだと言われております。  一つは、中国の古い時代説話集に、小さな石を拾ってきて、それで仏壇に置いておいたら長い間にそれが大きな岩になったという話がありまして、そういうものが日本に伝わって、これが君が代の歌に取り入れられたんだという説がございます。  

所功

1999-08-04 第145回国会 衆議院 文教委員会 第16号

大学におられたということを前提にして、今回、君が代歌詞、歌の意味について、政府象徴天皇のおられる日本という国が永遠に発展するように、栄えるようにというような意味統一見解を出されたというふうに思っているわけですが、仮に文部大臣が今大学にいらっしゃって、入学試験君が代歌詞についての意味を問うというふうな試験問題が出されたときに、今度の政府の出されたような見解も出てくるだろうし、古今和歌集の中で

濱田健一

1999-08-03 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第5号

しかし、逆に記憶をきちんとして、それを国民の前にも提示して、世界の前にも提示して、我が国歴史はこのとおりでございます、しかし君が代というのは、もともとの歌は古今和歌集和漢朗詠集にあった本当に平和な歌なんですよ、だから、歴史の思い出は背負いながらも、日本の国は平和国家として頑張るんですよと、こういう意味でやろうという提案をしていると野中さんはおっしゃる。これは一つの見識だと私は思うんです。  

山本正和

1999-08-03 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第5号

君が代というのは、先ほども先生お話の中にありましたように、いろんな歴史があります、古今和歌集から始まって。この歴史があって、そして明治のああいう天皇に対する君が代解釈もございました。そういう面からすると、一つのそのときの政府解釈できちんとしてしまうということは本当にいいんだろうかと。  

足立良平

1999-08-03 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第5号

古今和歌集あるいは和漢朗詠集ですか、つまり記載された君が代鎌倉室町時代神社仏閣行事うた、あるいは江戸時代庶民盆踊りなどにも歌い込まれて各層に親しまれたということ。そして、それが一千年以上にもわたって我々の祖先が受け継いできたこの歌。しかし、明治のときに「君」が明治天皇ということになったわけでございますけれども、これが戦争に利用された経緯。

松あきら

1999-08-02 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第4号

私は、馳先生からお話があったような古今和歌集にあった君が代のあの歌、あるいは日の丸歴史、そういうようなものも大事にしながら、しかしなぜこれがこうなってきたかということについて文部省はこれから十分に現場の先生たちとどんどん議論してくださいよということを示してもらわぬことには、本当の話、納得せずに議論になると思うので、その辺の文部大臣のお考え方を聞いておきたいと思います。

山本正和

1999-08-02 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第4号

古今和歌集にこうなっている、この歌はこんなに平和な愛の歌だ、人が愛し合うすばらしい歌だ、こういうふうに受けとめている国民の人もたくさんおるよと。ああ、それは我々の時代とは違うなと。しかし、それが多数ならそれでいいんですよ。それならば、その古今和歌集の歌を、本当にすばらしい平和の歌ですから国歌としましょうという提案ならこれはこれでわかるんです。

山本正和

1999-08-02 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第4号

非常に私が思うのは、君が代、あるいは古今和歌集におきましては我が君というふうにうたわれておりますが、こういう日本文化伝統として、すばらしい和歌として、長らく日本伝統として定着してきたこの和歌国歌として法的に制定するという意義は、私は非常にあるというふうに申し上げているだけであって、時代を振り返って、平安時代におきましても、特に北家藤原氏などは天皇家外戚関係を結ぶことによって政治的な権力をほしいがままにするという

馳浩

1999-07-30 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第3号

○国務大臣野中広務君) 私は、君が代歌詞平安時代古今和歌集和漢朗詠集起源を持ち、その後、明治時代に至るまで祝い歌として長い間民衆の中に幅広い支持を受けてきた、そういう歴史的経過を承知いたしております。この場合、君が代の「君」とは相手を指すことが一般的で、必ずしも天皇を指すとは限らなかったと思うわけでございます。  

野中広務

1999-07-28 第145回国会 参議院 本会議 第40号

古今和歌集に詠み人知らずで記載された君が代も、鎌倉室町時代には神社仏閣行事うたに、江戸時代には庶民たちの小うた、浄瑠璃、盆踊りうたなどに歌い込まれ、各層に親しまれたのであります。それは、京や江戸といった都市部だけでなく、遠い南海の種子島の祭礼歌にも登場するなど、全国各地に普及しております。

橋本聖子

1999-07-28 第145回国会 参議院 本会議 第40号

国歌君が代は、つとに知られますように、古今和歌集題知らず・詠み人知らずとして掲げられております。一千年を超えるはるか昔から日本人の心に響き、日本人の心に残る詩歌として語り継がれ、歌い継がれてきたものであります。  万葉の時代より君が代の「君」には「大君」という意味尊敬語としての「あなた」の用例があるとされております。

星野朋市

1999-07-22 第145回国会 衆議院 本会議 第47号

しかし、君が代は、古今和歌集に収録された和歌起源とされる文学作品であり、その解釈についてもさまざまな見解が示されております。にもかかわらず、政府が特定の解釈を施すことは適切と言えるでしょうか。極めて疑問であります。  以上、指摘いたしましたとおり、日の丸君が代は決して我が国の国旗・国歌としてふさわしいものとは言えず、もちろん法制化すべきではありません。

濱田健一

1999-07-22 第145回国会 衆議院 本会議 第47号

国歌君が代歌詞は、我が国の最も伝統的な国語表現である五七調の和歌であり、しかも敬愛する君の長寿と繁栄を祈る賀歌として、十世紀初めの古今和歌集に由来します。君が代の「君」である天皇は、君臨すれど統治せず、権力ではなく権威の象徴として国民に親しまれてきた、まさに日本世界に誇るべき歴史伝統象徴であります。それは現行憲法にも明確に受け継がれております。

三沢淳

1999-07-21 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第13号

君が代の「君」に関することにつきましては、君が代歌詞そのものが、平安時代古今和歌集和漢朗詠集起源を持ち、その後、明治時代に至るまでの祝い歌として長い間民衆の幅広い支持を受けたもので、この場合の君が代の「君」とは、相手を指すことが一般的で、必ずしも天皇を指していると限らなかったと考えられます。  

小渕恵三

1999-07-21 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第13号

それから、君が代解釈について、これはもともとの新古今和歌集でございましたか、それ以来の原義と、それから明治以来、それから終戦まで、それから終戦以後、特にまた最近と、非常に二転三転をしておるということ。  それから、やはり旗と違って、特に詩ですけれども、詩というものは非常に一定の価値をあらわしております。そういうことで、やはり旗と違ってまた別の感情もあるだろうということでございます。  

河村たかし

1999-07-21 第145回国会 衆議院 内閣委員会文教委員会連合審査会 第1号

君が代は、古今和歌集和漢朗詠集にもその源泉を見ることができますし、静御前も義経への愛を込めて源頼朝の前でこの曲で舞ったと言われております。また、江戸時代には、江戸城で元旦にこの曲をめでて平安繁栄を願ったということでございます。また、物を請うときにこの君が代のメロディーを流してこの歌を歌ったということです。  

池坊保子

1999-07-21 第145回国会 衆議院 内閣委員会文教委員会連合審査会 第1号

また、その教科書の記述につきましても文部大臣からお述べになったとおりでございますし、また、日の丸は既に江戸時代朱印船などに我が国の旗として用いられてまいりました点も、また、君が代の由来する古今和歌集などの古歌にその歴史をたどることができることも、文部大臣からお述べになったとおりでございます。

野中広務

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